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  • 2015.08.31 Monday
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    アグリロハスは、ホームページで掲載しています!

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      秋川實のコラム「アグリロハス」は、秋川牧園の公式サイトにて、配信しております。 

      こちらからどうぞ…




      アグリロハス 2012年5月号

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         アグリ・ロハス
        あなたの畑・あなたの牧場がここにある






         すでに、桜は散って行きましたが、「今年の桜は、
        特にきれいだったね」と思われた方は多かったことでしょう。
         この冬が寒かっただけに、桜はその寒さに耐えて一気に咲いた、
        そこにあの美しさがみなぎったのだとも思えるのです。

         さて、新緑の候、一年の中でも五月は良い季節、野菜作りも、
        春から夏への切り替えの時期、春物の野菜が終り、
        キュウリ、トマト、ピーマン等、初夏の果菜類が主役となってきました。
         以前は、六月になると葉物のほうれん草や小松菜が切れたりして
        とても不自由でしたが、今では無農薬の有機肥料の安心野菜でも
        一年間通して出荷できるようになりました。

         また、水菜やビート等の「ベビーリーフ」も年間を通じて
        届けられるようになって、無農薬のお野菜として、
        皆様方の食卓には欠かせないものになっていることでしょう。

         私共が現在地で食の安心、安全に取り組んで四〇年、
        当初の野菜づくりは、虫との戦いで大変なものでした。
         地道な努力と、そして食の安心安全を科学すること、
        食べて下さる消費者の皆様と作る生産者が信頼関係の中で、
        食の安心安全は確実に育ってきたのです。
         この四〇年は、長かったでしょうか、短かったでしょうか。
        これからも、食の安心、安全のトップの農業者として、
        秋川牧園はがんばって参ります。

         

        お友達と一緒にご覧ください。
        絵本と冊子ができました!!



         


        お待ちかね…、秋川牧園が発行するお母さんが読める可愛い絵本、
        『お母さん よんでね!』と冊子「自分の家族は自分で守る」が
        できあがりました。

         絵本は、ピンク色の装丁が、「生活提案編」、
        もう一冊のブルーのものが「食の安心、安全編」です。

         食の安心安全についても、なにが安全でなにが問題なのか?
        試験勉強の一夜漬のように、単にその知識を覚えようとしても、
        なかなか、体の中に入りません。
        また、時に聞くお友達からの豆知識は貴重ではありますが、
        それを自分のものとするには力不足な感じです。

         少し自画自賛になるかも知れませんが、今回の絵本は、
        西本葉子さんの楽しいイラストの絵を楽しみながら、
        あっという間に終いまで見てしまう…、
        そしてまた、もう一度初めから見たくなる、そんな絵本です。

         最近、テレビ等でも、健康に関する豆知識的なものが
        多く露出するようにはなりましたが、
        その多くはダイエット等に関するものに限られて、
        食の安心、安全について深く掘り下げたものがあまりないのは
        残念なことです。

         食品添加物や農薬等に関しては、その業界に対する
        利害得失にも関わって、
        論議しにくいことも影響しているのかもしれません。
         しかしながら、毎日食べ続ける消費者にとっては、
        食の安全性は、とっても大切なこと。
        この日本でも「ガン」になる人の割合が五〇%を越え、
        また、そのガンによる死亡率が約⅓を占めるというような
        異常な事態が、すでに三〇年近くも続いているのです。

         このような事態は、単に農薬や添加物等の一つ一つの安全性を
        科学的に検証していくことだけでは、
        とても解決できない課題と知るべきです。
        要は、私達人類が、この地球の生い立ちや生命の誕生からの
        摂理を学び、その中からいかに、真の健康という幸せを創出するか、
        そこにかかっているように思えるのです。








        農薬とは農毒薬のことなり
        〜食べ物の棲み分け〜

        「農薬とは農毒薬のことなり」
        菊池養生園の竹熊先生の名言です。
         そしてこの名言は、私の心に深く刻まれることになりま
        した。
         虫も人も同じ生き物。虫には毒で、人には全く毒でない…
        そんなものはないということです。

        私の大学時代は、学校に行ったというよりは、
        貧困の百姓の合間に通学したというようなものでしたが、
        そこで得たものは少なくなかったと思っています。
         私の好きだった生物、そして専攻した化学科で得たもの、
        それは後の私の人生観に大きな影響を与えることになります。

        一九八〇年代、ドイツのリービッヒが、肥料は
        窒素、リン、カリの三要素があれば十分だと発表して注目され、
        その後、化学肥料が大量に使用されるようになりました。
        一時は収穫量も増えて、人類は幸せになったような
        錯覚を経験することになりますが、
        化学肥料の多用に伴って有機質やミネラルの欠乏、
        硝酸体チッソの弊害、作物の病害虫の多発、
        農薬の多用という多重の弊害をもたらしたのです。

         私たち人類が知恵に溺れ、この地球上の生態系に
        未だ存在していなかった「異物」である有機化学物質を、
        この世に大量に合成し始めたのは僅か一〇〇年足らずのこと、
        そして、それが農薬であり、除草剤であり、食品添加物であり、
        合成抗菌剤なのです。

         人が科学する意味、そしてその科学が
        本当に人の幸せを真に導くのか、
        その摂理に、少しでも分かり易く触れていただければと
        思っています。

         そして、皆様方の人生がより健康的で幸せであることを願って
        この冊子『自分の家族は自分で守る』
        大人の絵本『お母さんよんでね!』を皆様にご案内したいと
        思っています。

         では、次回、六月号でお会いしましょう。




        アグリロハス 2012年4月号

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           アグリロハス
          〜あなた畑、あなたの牧場がここにある〜

           

           


          厳寒が続いた今年の寒さも、さすがに四月ともなれば春めいてきました。ナスやピーマン等も、露地に移植することができる暖かさです。また、春は、花をつける季節、葉物と言われる小松菜や大根等も花実がつくと野菜として売れなくなるので、農家は春の季節の移ろいを気にするものです。牛や、鶏たちにとって春は良い季節、気候がよく、日照時間が長くなることでホルモンの分泌も盛んになります。そのため春は鶏たちにとっては本来たくさん卵を産む季節です。それ故に、春に産卵が集中して、昔は、この時期に卵の値段が暴落したものでした。しかし最近では、品種改良の力もあり、鶏は一年間平均してたくさんの卵を産むようになったのです。


           

          科学の名のもとに、過ちを繰り返すことなかれ



          先月の三月三日、山口市で、GMOフリーゾーン全国大会が開催され、当社の社長が実行員長をお引き受けしました。当日は、全国各地から五〇〇名近くもの多くの参加者があり、山口市、渡辺市長の歓迎の挨拶もいただく中で、大変、熱気のある有意義な大会となりました。グリーンコープからも、多くのお母さん方の活発な参加があり、また、地元の生産農家の参加も加わって、今後の遺伝子組み換え反対、nonMO運動の大きな力につながるものとなりました。残念ながら、今では、米国等から輸入される農産物等、トウモロコシ、大豆、菜種、甜菜の大部分が遺伝子組み換えされるに至りました。恐ろしいことに、遺伝子組み換えトウモロコシは殺虫性トウモロコシとも言われ、トウモロコシの茎に入った虫が、死んでしまうという代物なのです。虫も人も同じ生き物、虫が死ぬものが人によいはずはないと思うのです。遺伝子組み換え大豆は、地球最強の除草剤「ラウンドアップ」でも枯れない大豆を作ったものです。除草剤で枯れない大豆ができたことで、除草剤の多用、乱用が始まりました。その結果、有機化学物質の土壌の汚染を広め、さらには生態系や環境に与える影響が懸念されています。また、最近、ラウンドアップ耐性大豆による出生異常の研究報告が世界で相次いでおり、「やはりと思う心配」が現実のものとなりつつあります。「人は科学するに及び、謙虚でなければならない…」原発の事故は、一瞬にして人を不幸に陥れました。一方で遺伝子組み換えは、長い永い時間と年月をかけて、ゆっくり人を不幸にするもの…私共は、このように思えてならないのです。



          無投薬飼育は、どのようにして成功したのか


           

          昨年の十二月号から始まった私の体験記、それは小学六年生、「六羽のヒヨコとの出会い」から始まり、四〇歳からの無投薬飼育への挑戦につながって、今回でその五回目となります。戦前から戦後にかけて、農家には、どこでも五羽程度の小羽数の鶏がいたものです。人の食糧ですら枯渇していた戦後の食糧難の中で、なんとか飼料が出回るようになったのは、戦後十年も経ってからのこと、そのあたりから養鶏の規模拡大が始まり、千羽養鶏、一万羽養鶏へと大型養鶏場が出現していくことになります。規模を大きくするということは、そのまま狭いところに詰め込む密飼養鶏につながり、それは鶏病の多発にもつながっていくことになります。一方で、世界各地から種雛が輸入され、そのために国産鶏が全滅してしまうことになるのですが、実はその外国鶏が、鶏の難病「マイコプラズマ症」の病原菌を日本にも持ち込むことにもつながりました。このような中から、日本にいる鶏のほとんどが、このマイコプラズマ症に感染してしまったのです。一旦、このマイコプラズマに罹ると、鶏は顔色が悪くなり、その内、目から涙、鼻汁を出し、次第に痩せて行き、そして二か月程度で死に至るという厄介な鶏病なのです。当時はなんでも薬に頼る時代、結局は、人に使われたものと同じ抗生物質が、牛、豚、養殖魚等を含めて大量に使用されたのです。その結果、卵やお肉等の中に低濃度の抗生物質が含まれる結果となり、そのことが、病院で治療として受ける抗生物質が効かなくなるという耐性菌問題の危機へとつながることになりました。病気には色々ありますが、最後は体力が弱まると肺炎が命取りになるものです。この肺炎菌に効果のあるものとしては、最後の砦として頼られるのが抗生物質、そんな緊急の時に、肝心の抗生物質が効かなかったら大変なことになってしまいます。私が三〇年前に挑戦した鶏の無投薬飼育の成功、この世界初とも言える快挙には、先月号でお伝えした西の横綱「コクシジウム症」、そして、この東の横綱「マイコプラズマ症」と壮絶な格闘があったのです。では来月、五月号でまたお会いしましょう。



          アグリロハス 2012年2月号

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             アグリロハス
            〜あなた畑、あなたの牧場がここにある〜



            年が明けてからも早いもの、毎年、この時期は、鳥インフルエンザが一番心配な季節ですが、まずは、この一月の中旬までを無事に越えたところです。

            さて、今は厳冬の季節、鶏や牛たちはどんな冬を過ごしているのでしょうか?

            牛は、意外に寒さには強い…。しかし、寒さに強いということは、暑さには弱いということ、梅雨明けの七月は、牛の健康に気をつけなければならない季節です。

            鶏は冬型、夏型? 正直なところ何とも言えない。ひよこは寒がり…、冬には三〇日齢近くまではプロパンガスを使い温めてやります。しかし雛の時期を過ぎると、もう大丈夫! 暖房を使うことはありません。逆に、夏には大型扇風機の活躍が必要です。というのも、鶏には汗腺がなく汗が出ないので意外と暑さに弱いのです。

            さて、有機農業、そして飼料米の栽培には堆肥が主役、この度、堆肥散布機が到着しました。今年、大いに活躍することでしょう。





            放射能の自社測定が始まりました

            放射能に対する食の安心安全は、大きな課題です。放射能に対してより安心を求める消費者の皆様に対し、秋川牧園ならではの安心を届けて参ります。

            会員制宅配「スマイル生活」の大きな特徴は、卵、牛乳、お肉やそれに必要な飼料、冷凍食品、お米、お野菜等すべての食べ物について、秋川牧園、自らが農業の会社としてその安全を組立てているところにあります。そして、主要な食べ物については、秋川牧園自らが主体となって、食べ物を責任生産していること、このような農業者の本格的な宅配としては、オンリーワンだと考えています。

            特に畜産物については、若鶏の全植物性飼料等を始め、畜産物全般の飼料について、その原料の段階からのその組立ができています。どもはこれらの特徴を生かし、まず、自社生産の食べ物の放射能については、なんとか原発事故以前の水準が守れるようにしたいと考え、社内でその技術的な検討を重ねているところです。

            なお、放射能検査については、外部検査機関による検査を精力的に続けて参りましたが、さらに大量、かつ、迅速に検査をこなすため、昨年十二月に自社に分析機器を導入しました。今後、外部検査と並行して行うことで、さらに多品目の検査がより迅速にできるようになりました。




            無投薬飼育はどのようにして成功したのか

            一九七二年、私が四〇歳になった夏、親子四人、食の安心安全を目指して立ち上がった…その創業のお話については、一月号でご紹介いたしました。

            当時の畜産は鶏病の多発で病気の百貨店状態、その予防治療に大量の抗生物質が使用された時代です。

            戦前から戦後にかけて、一軒に四、五羽程度、庭先養鶏の時代でした。一九五〇年代から、養鶏業界は価格競争に突入する中で、生き残りにかけた弱肉強食、大量生産の時代となりました。そし
            て、一〇〇羽から一〇〇〇羽、一万羽養鶏へと生き残りをかけて規模拡大がエスカレートしていったのです。

            今から六十六年前の終戦当時、すでに卵は一個二十円近くもしていました。当時は、超インフレの時代でもありましたが、教員の給料が五〇〇円程度だったという記憶があり、となると、給料を全部はたいても僅か二十五個の卵しか買えなかったことになります。それから七十年、今でも、市販の卵は一個二十円で買える、給料で一万個以上の卵が楽に買えてしまうということ、養鶏産業がいかに過当競争の中で、価格が不当な安さに置かれていたかがよく分ります。

            物価の優等生と言われて久しい卵ですが、一方にその代償として安全性を犠牲にした無理な生産があったという厳しい現実があるのです。価格競争に生き残るためには、一円、一銭のコストを削る、鶏舎には入るだけの鶏を詰め込んで家賃や人件費を削る、その結果は多くの鶏の病気の多発でした。
            伝染性コリーザー、鶏痘、ブドウ球菌症、コクシジウム、慢性呼吸器症等々、病気の種類は数え切れないほど、まさに、病気の百科店のようなものでした。

            畜産に先立って、人の感染症の特効薬としてペニシリンやストレプトマイシン等、多くの抗生物質が使用される時代がありました。しかし、高価だった抗生物質も過剰生産により、過度の市場価格競争となり、その売り先が、一挙に畜産や養殖魚の業界に集中したのです。その結果、一時は、十種類も二十種類もの抗生物質や抗菌剤、餌をやっているのか薬を与えているのか分からないところまで行き着いたのです。卵やお肉の大量生産、密飼、病気の多発、抗生物質が人体用と家畜用とに共通に乱用される中、耐性菌が増え続け薬が効かなくなる…この悪循環サイクルが続きました。

            こんな混沌としていた養鶏業界の中にあって、不可能と考えられていた「無投薬飼育」に対して、私が挑戦を決意した…、そのゴングが、一九七二年、夏七月、親子四人、廃墟への養鶏場に立ちすくんだその時に鳴り響いたのです。 
             
            それでは次回、三月号でお会いしましょう。



            アグリロハス 2012年1月号

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              株式会社秋川牧園 代表取締役会長 秋川実

              アグリロハス
              〜あなた畑、あなたの牧場がここにある〜

               新年、いよいよ、二〇一二年の幕開けです。まずは、会員の皆様、明けましておめでとうございます。

              さて、私たちにとって今年はどんな年になるのでしょうか。

              昨年を振り返って想起されること、私達日本人にとって何よりも大きかったあの衝撃、東日本大震災のことは永遠に忘れることはできないでしょう。まだ、仮設住宅のままで不便に毎日を過ごされている被災地の皆様、さらに未解決なガレキ処理、不安を抱える原発の冷温停止までの道のりや除染への課題等、難問題はまだまだ山積しているのです。

              原発事故の大きな教訓は、一時の便利さや、その誤った経済性に対する誤認によって、人は大きな間違いを起こすことを私たちに重みをもって知らせています。また、人が地球の自然の摂理の中で、今までにないことをなす時は、本当に謙虚で慎重でなければならないことを神が知らしているのだと思います。日本人はスバラシイ国民です。今年は日本国民が力を合わせ、日本の大きな復興の年にしたいものです。

              さて、一方には、相変わらず低迷する世界の経済の課題があります。二〇〇八年九月、リーマンショックから、早くも三年を経ましたが、世界の景気はなかなか良くはなりません。バブルの後遺症が大きく、景気対策として世界的に発動した財政支出により、財政の財源も乏しくなる中、ユーロの通貨危機も相俟って景気の回復にはもう少し時間がかかることでしょう。

              さて、このような時こそ、家族にとって健康こそが何よりも大切です。
              安心安全な食べ物は、健康を願って生産者が一生懸命につくるもの、それなりのコストがかかります。その分、安さを売りにする一般商品と比べて、その値段が少しは高めになるのは止むを得ないものがあります。
              しかし、ここは消費者みなさんの知恵の働かせどころ、安心安全な食べ物を普通の食費の範囲で、十分に食べることができるのです。

              そのポイントは、私どもがご提案する栄養提案、家計提案、生活提案の中にあり、しかも、それは、それほどむずかしいことではありません。つまり、「安いものを買う」のでなく、「栄養当たりの値段がお得なものを買う」…「必要な栄養は買う」けれども、「無駄に栄養を摂り過ぎることはしない」…カロリーの中でも、高い値段のカロリーを食べすぎて生活習慣病になるような愚はしない…ということでしょうか…。

              さあ、今年も、まずは健康第一ですね…。


              1972年、夏、7月
                一家四人・再出発の船出

              先月、十二月号では、小学六年生の時、祖母が買ってくれた六羽のヒヨコが病みつきとなり、その鶏好きの中にのめり込んでいくお話をしました。今回は、それから二十六年後の、私ども一家四人、人生の再出発のお話をお伝えしたいと思います。

              さて、例の鶏大好き少年だった秋川実は中学三年生になり、中国から引揚げてきた父とともに山口市仁保の山あいにあった荒れ田に挑戦、いやというほど貧乏のドン底を経験します。当時は、百姓の合間に学校にいくという有様で、大変だったけれども、今考えると良い青春をしたと思えてとてもなつかしいのです。

              当時の状況では、自分としては、とても大学に行けるような状態ではなかったのですが、「大学には、行っとけ」と父が背中を押してくれたことで、地元、山口大学で化学を学ぶことができたのです。当時は、化学と農業が結び付くことがあるのかという感じでしたが、それを学んだお蔭で、農薬や添加物の有機化学合成のメカニズム、また、後に問題化するD D T 、BHC等の生体濃縮する農薬の情報等にはいち早く接することができ、後に秋川牧園の仕事に大いに役立つことになりました。

              百姓しながらの通学を終えた私は、自営農業にまい進する中、生意気にも地元の養鶏農協に改革案を提出、その後、養鶏農協の常勤役員として経営再建に没頭することになります。
              苦労の末、お蔭でようやく雛の販売も順調となり、さらに前向きに種鶏の改良に力を入れたいと思っていた矢先、突如として現れたのが「青い目の鶏」、改良された種鶏の外国からの進出でした。

              当時、戦争中だった日本の食糧は飢餓状態、それに反して米国の農村では、妻は夫を戦場に送りながらも、トウモロコシがたくさんできて鶏を飼うことができ、種鶏の改良事業が続いたのです。これは明らかに日本の負け、日本の養鶏業者一四〇〇軒の内、残ったのは最大手の一軒だけ、残りは僅か三年で倒産、廃業、もしくは外国の下請けになったのです。

              私達のヒヨコも一羽も売れなくなり、増えていくのは借金だけ、毎日が苦吟する負債整理のイバラのむしろが続くことになります。 私もその先の解決策のないまま、やがて、齢、四〇歳を迎えることになります。このままでは、父が目指した農業、そして「消費者によい食べ物を届ける」という理想はなんだったかを問われることになる…。一念発起、まさに、人生の再出発を決断する…。

              そこで、廃墟の養鶏場を何とか借りてそこに入り込むことになりました。何分、負債整理中の身、ポケットの中にあったのは僅か現金の五万円、家内もだまってついてきてくれました。息子二人は小学生と幼稚園の一家四人、覚悟の船出です。

              古い養鶏場の金網は朽ち果て、中の鶏糞は外に流れ出て長靴でも歩けない有様、夏草だけは異様に生い茂り、その高さは屋根まで達していました。「夏草や、つわものどもが夢のあと」まさに、この芭蕉の句がふさわしい…。毎日毎日草刈と鶏糞出し、車一〇〇〇台に及ぶ鶏糞を片付けた。鶏舎に利用されていた旧校舎の鶏糞を片付けてベニヤ板で間仕切りし、借りてきた古タタミを敷いて仮住まいとした。

              一九七二年夏、七月、これが秋川牧園の壮絶な挑戦の始まりだったのです。それから、四〇年、多くの消費者の皆様に励まされ、ご愛顧をいただいて今日があります。
              限りない感謝とともに、さらにその原点に戻り、皆様方の健康、そして食の安心、安全に向け一同力を合わせて貢献して参りたいと思います。

              では、二月号でお会いしましょう。



              アグリロハス 2011年12月号

              0
                 
                株式会社秋川牧園 代表取締役会長 秋川実

                アグリロハス
                〜あなた畑、あなたの牧場がここにある〜

                いよいよ今年も終り、十二月となりました。会員の皆様には、今年一年間、本当にお世話になりました。

                考えて見れば、今年は本当に激動の年でした。なんといっても三月十一日午後二時四十六分、東日本大地震、これは日本人の永遠の記憶に残る出来事になりました。
                 
                未だ復興にはほど遠い難題山積する中、被災地の皆様方に心からお見
                舞いを申し上げます。また、この春には、会員の皆様方に産地に向けての
                義援金をお願いしましたところ、多大のご協力をいただき、改めて厚く御礼申し上げます。
                本当にありがとうございました。


                先般十月の末に、食の安心安全で連帯する全国産直産地リーダー協議会の皆さんとともに、私も震災地を訪れることができましが、テレビ等の報道で見るのと現実に見るのとでは大きな違いのあることを知りました。

                まずは地震というよりは大津波、そして放射能不安に尽きるというのがその実感です。津波は海岸近くに打ち寄せるというような生やさしいものではなく、海岸からはるか何キロという山の麓まで津波は押し寄せ、家や車を飲み込み、壊し、人をさらって行ったのです。そして、今は積まれた瓦礫の山とポツンと残る鉄骨の骨組み、そして、多くの家で賑わったかつての町並みは、今は、枯れ草の茂る荒地に変貌していました。

                塩の害で、お米も畑も今は作ることができないということも、さらに淋しさを募ります。「ここが常磐線のあったところです」と指差されたところには、線路も枕木も敷石も流れて見当たらず、それは忘れ得ぬショックとなりました。せめての慰めは、東北の生産者の皆さんから笑顔が見えることでした。
                ここは日本人の力の見せ所、みんなで力を合わせてがんばりましょう。


                続・秋川牧園物語
                  祖母が買ってくれた六羽のひよこ


                先月十一月号では、父秋川房太郎の八〇年前の創業、「口に入るものは間違ってはいけない」をお伝えしました。今回は、私の養鶏、そして日本の農業への挑戦のお話をしたいと思います。

                私が中国の秋川農園で育つ中、やがて小学六年生になった時、「中学は
                日本の方がよい」と急に父が言い出したのです。その時は、すでに太平洋戦争は末期、日本の敗色が濃い中、米国の潜水艦の影に怯えながらもなんとか下関港に辿り着き、一家母兄妹六人、山口市で祖母と共に住むことになります。一方、父はそのまま中国の秋川農園に戻り、敗戦とともに音信途絶となるのです。

                その敗戦直前の六年生の夏休みのことでした。「実、ヒヨコを買ってきたよ」と祖母の声、小さい箱の中の可愛いヒヨコの前で私は釘付けになったのです。その瞬間から、私とヒヨコの一身同体の密着の日々が始まりました。
                早速、ヒヨコに名前を付けることになるのですが、ヒヨコの顔はみな似ていて、なかなか区別がつきません。苦肉の策、インクを無理やりに塗って、首に赤インクを塗れば「首赤」、背中は「背赤」、尾羽に塗ったのは「尾赤」と、そのままをヒヨコの名前にしたのです。

                それから、夏休み毎日の図書館通いが始まりました。当時の山口県立図書館にあった八十四冊の養鶏の本の全てを借り出し、転記をしながら、「養鶏の知識」という冊子を創り上げるほど熱中しました。

                やがて半年も経つと卵を産み始め、私の養鶏熱はさらにエスカレート、卵を産むと自分では鶏が出られないような産卵箱を作り、一羽一羽の産卵記録、さらに卵の重量の記録まで続けました。後々、鶏は二〇〇羽位に増えることになりますが、卵を見るだけで、どの鶏が産んだ卵か、卵の目方も目測で当てることができるくらい…鶏にのめり込んでいくことになります。

                さらには、いかにたくさんの卵を産む鶏を作るのか…、自分で工夫して雄鶏を交配し、孵卵機も自分で作ってヒヨコを孵化、遺伝学の書を求めては夜を忘れて探究する。まさに種鶏改良に無我夢中だった自分を、今でもなつかしく思い出します。

                やがて、荒田での開墾農業に苦戦しながら、その合間に通った大学四年の年、私が品種改良した鶏が山口県種鶏場で、一年三六五日、休まずに産み続け、世界記録を樹立し、県を挙げての賞賛をいただくことになります。
                翌年には昭和天皇ご夫妻が戦後初めて山口県にお越しになられた折、山口県農業試験場でその鶏をお見せして陛下に直接にご説明を申し上げるという光栄に浴したのです。

                「好きこそ物の上手なれ」、今、秋川牧園では、卵、鶏肉、豚肉、牛肉、牛乳、無農薬のお野菜等、すべての食べ物について食の安心、安全の先駆的な役割を果たしてきました。しかしながら、その原点は、やはり鶏、そこに
                は私のこの上ない鶏好きの原点があったように思うのです。

                では、新しい年で、また元気でお会いしましょう。





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